こんにちは、波野なつこです。
うちの会社で「やったことないからわからない」「やったことないからできません」と頻繁に言う人がいるんですよ。見た感じは悪い人でもないのに解約が多い。なんでだろうと思っていたのですが、この言葉を聞いてなるほど納得!もったいないなぁ思いました。
人生はやったことあることもあればやったことないものもたくさんあるでしょう。そりゃそうです。いくつになってもやったことないことは出てくるでしょう。
これからもやったことないことが次々に現れると思います。若いときから沢山チャレンジしてきた老人だってスマートフォンを見たのは今から10年前が初めてでしょうし、それまで電話なのにこんなに機能を沢山ある道具はなかったわけで、VRをはじめとして、未だ見ぬ技術的な革新は進むでしょうし、年をとったからこそ「自分や配偶者がぼけていく」「友人が次々と亡くなる」など経験したことないことは起こるでしょう。
一方、子供は「やったことない」の連続で、それをイキイキとやります。
赤ちゃんは初めてのハイハイからスタートするでしょうし、「ママ」と発声するのも、歩くのも初めてでしょうし、友達を作ったり、絵本を読んでみたり。
赤ちゃんが「私、歩いたことないからわかりません」と言ったところは今のところ聞いたことがありませんね(笑)それに子供が絵本を読もうとして読めなかったとしても親や先生のところに絵本を持って行って「読んで」と言って読んでもらいそうしてひらがなを覚えていくのではないでしょうか。
もう少し大きくなると勉強や運動に得手不得手が出てきます。
子供はやったことないのを言い訳にしません。例えば、算数のように理論を教わってできるようになっていくものもあれば、とび箱や縄跳びも教わるより体得するも学んでいきます。
どちらが得意か…というのは人によっても違うし、両方できる人もいるでしょうが両方できない人もいるでしょう。
私はとび箱や縄跳びなど器械体操は苦手でした。とび箱を飛ぶ意味がわかりません。でも授業だし、できないのが悔しいので練習して飛べるようになりました。飛べる日が来るまではやったことないどころか失敗の連続で、飛べる日が来るまで負の思いばかりを募らせるわけです。でも、子供は「やったことない」を言い訳にしません。できるようになりたい!というと一心で練習に励みます。
「やったことないから頑張ります」と「やったことないからわからない」では聞く方もサポートに入る気持ちが異なります。
「やったことない」の裏には「成長を望んでいません」や「失敗しても私のせいではありません」と言ってるように聞こえます。それをわざわざ言うことで何かを得ようとしていることは確かです。その得ようとしているものは援助なのか免罪なのか…どちらにしても無責任で担当者の発言とは思えません。これが言葉の核であり本質です。その本質、言葉の核となるものを日本人は受け取り非常に難しいバランスをとってコミュニケーションを取っています。
わかりやすく例えると、贈り物をするときに「つまらないものですが」と言って渡す。本当につまらないものをあげるのなら贈り物する意味がないし、本音ではありません。本質は「相手が目上のため謙遜しておくことで人間関係を良好に保ちたい」や「もし相手の好みじゃなくても許してね」と言ったところでしょうか。
このくらい当たり前のように慣用的なフレーズで使われる言葉にはもちろん、ふと発したふとした言葉にも本音が宿るんです。これがコミュニケーションの真髄であり、どんだけスキルテクニックでごまかそうとしてもバレてしまう。
だから、最初にお話しした「やったことないからわからない」とすぐ言う人の本質を感じ取るからお客さんは離れるのか…ひとつの仮説ではありますが、自らへの戒めを込めて、自らの本質的を受け入れて、言葉を選んでいきたいと思います。
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